俳優

奢ることなく、臆することなく。

「舞台は僕の戻るべき場所」と語る俳優・堤真一。キャリアのスタートも舞台、一途に生の芝居にこだわりドラマ出演を頑なに拒んだ時代もあった。テレビや映画の世界に活躍の場を広げてからも、1年に一度は必ず舞台に立つ。そんな堤を座長として、傑作と名高い戯曲「みんな我が子」が今春、東京と大阪で幕開けとなる。彼自身とも縁深い英国正統派劇の見どころ、そして舞台を通した仕事への思いを聞いた。

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ミラーは社会派の作家です。色々な意味で逆風が吹いている演劇界で、今この作品を上演する意味はあるかと思っています

――原作は第二次大戦後のアメリカ、戦争特需で成り上がった一家の崩壊を描いた物語です。80年以上前のアメリカを描いた作品ですが、現代にも通じるところはあるのでしょうか。

僕が演じる父ジョーは過去に罪を犯しますが、結果そのことでファミリー共々裕福になる。しかし、その罪が消えることはなく、長男の自殺という結果を招いてしまう……。罪と正義という大きなテーマを家族の話に落とし込んでいますが、勧善懲悪かと言えば決してそうではありません。
例えば犯罪は犯罪でも、その罪の意識を実感しづらい犯罪というものがあります。立場によって潔白を主張できるだろうし、黙ってやり過ごすこともできる。この世の中はそれぞれの人にそれぞれの正義があり、そしてその正義を裏返した時には逆にその人の怖さが出てくるわけです。
僕が演じるのは古き良きマッチョな富豪、言わばジョン・ウェイン的存在です。その当時、それは正義の象徴ですから、否定すること自体難しい。そんな彼が罪を犯してのし上がっていく、さらにはファミリーを思って犯した罪ですから、父親としてはなんら弁解することはない。
これってね、極派政治と似ていると思うんです。正義のためなら、他者に対しての不利益は目をつぶる。そして権力を持つ者には口を閉ざす。今の政治を見ていれば思い当たることもありますよね。ミラーは社会派の作家です。色々な意味で逆風が吹いている演劇界で、今この作品を上演する意味はあるかと思っています。

――演出にはイギリスの鬼才と呼ばれるリンゼイ・ポズナー氏。堤さんは2020年に舞台「十二人の怒れる男」で演出を受けました。今回も同氏の演出となりますが、座長としての意気込みを教えてください。

「みんな我が子」は複雑な人間模様を描き出す作品。そしてポズナーさんは、絡み合った心情を劇場という場で観客に体感させる天才です。例えば演出で、序盤匂わせて後半につなげるというのはよく使われる手法です。しかし、ポズナーさんはそういった匂わせをしない。場面を重ねていくことによってのみ、登場人物の心が明らかになっていく。今回の作品でいえば、人間の隠された怖さというのをどう演出するのか、そこが見どころというか楽しみにしているところです。
そんなポズナーさんのキャラクターをひとことで表すなら穏やか。伝統的に温厚な演出家が多いイギリス演劇界の中でも際立っています。そして、シンプルな言葉でシンプルに役者を動かしていく。
日本だと演出家によっては「ダメ出し千本ノック」のような一方的なやりとりを通じて、それが芝居だ、というような風潮がありますが、僕は芝居のそもそもがデヴィッド・ルヴォーというイギリス人演出家からのスタートです。彼らは皆、対話を重視して役者の個性を芝居に取り入れていきます。ただ、今回コロナの影響で演出がリモートになる可能性があります。役者としては演出家にそばにいて欲しいので、彼が入国できることを祈っています。

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世の中に違和感はずっと感じていました。頭が良くてお金儲けの手段をよく知っている人たちが、宇宙へ行った、お金を配った、高級グルメを食べた、そんなことに憧れるような社会ってなんなんだろう

――「みんな我が子」では、お金が免罪符のように描かれています。原作が書かれた時代から今まで、同じような設定の中で世界は回ってきましたが、しかしここへ来て、その設定から抜け出し、なんのために働くのか、こうした問いに多くの人が答えを求め動き出しています。堤さんにとってお金と仕事とはどんな関係でしょうか。

悲惨な戦争と軍国主義が終わって、父親たちには働くことが正義となりましたよね。僕の父もそうでした。所得倍増、高度成長、そのためなら海を汚しても木を切り倒してもいいから、とにかく近代化。そして僕らの時代はいい大学にいい企業、敷かれたレールにどう乗るかの競争だった。僕なんかは出だしから脱線していますから、ここまで来られたのはただ単に運がよかっただけ。でも、そんな世の中に違和感はずっと感じていました。頭が良くてお金儲けの手段をよく知っている人たちが、宇宙へ行った、お金を配った、高級グルメを食べた、そんなことに憧れるような社会ってなんなんだろう、と。僕は貧乏人の出だから、余計に違和感を持つのかもしれない。だから今、働く人たちの間でそういったムーブメントが起きていることは、僕にとっても勇気の出る話です。

――働く意味と同じく、社会との関わり方も働く人にとって重要なテーマになっています。堤さんにとって「よく生きよく働く」とはどういった生き方でしょうか?

実は僕はあまり仕事が好きじゃない。できることならなるべく人前に出たくないんです。だから僕の場合はここまで「よく生きてこられて、よく働いてこられた」(笑)。ある意味、人生を破滅的に捉えていたというか、本当にダメな人間だと思いますが、生きている実感として仕事が必要だったのだと思います。ただ今は、子どもたちが学校を出るまでは一所懸命生きていようと思います。欲を言わず生きているだけでいい。
僕が年齢を重ねてから授かった子どもなので、上の娘が成人した時に僕は70歳。きっと自立しているだろうから一緒に住むでもなく、僕が鬱陶しかったとしても存在はしていてあげたいんです。まあ向こうは早よ死んでくれと思うかもしれませんが(笑)。
僕は父のことを、人生を諦めた人だと思っていました。ですが、NHK「ファミリーヒストリー」で父のことを調べてくれて、僕の思い違いだと気づいた。それがわかっただけでも、僕の大きな救いになりました。娘には尊敬して欲しいわけでもなく、ただ僕の存在がなんらかの生きる基準になると思うんです。そういう意味で、娘には僕のことを嫌いでもいいから存在してあげたい。そう思わせてくれたこと自体、子どもは素敵だなと思います。

――ファンとビジネスについて伺います。ブランディングを始め、企業とファンという関係でビジネスを成功させるケースが増えています。俳優として多くのファンを持つ堤さんは、自身の仕事を応援してくれるファンとはどういう関係性ですか?

ずっと舞台を続けて、初めて連ドラに出たのが31歳。その時、段ボールでファンレターが届いたんです。僕、真面目ですからその全てに目を通して、返信用に住所をフロッピーに打ち込んでいた。でもね、ある時気づいたんです。何百通とあるファンレターの文面が、ほとんど全て一緒だということに。もちろん表現は違いますけど、感想、質問、お返事待っています、の締めくくりまで、申し合わせたように同じような文章が何百通と来る。もしかすると世間の人は実は何も考えていないのか、そんな風に考えて怖くなりました。
だからファンを当てにしてはいけない、オペラグラスで僕の顔だけを一心に追う人は僕のファンではない。だってファンはどんなにひどい時でも応援して、否定しないから役者を勘違いさせてしまうんです。彼らの称賛は、僕の価値ではなく周りが作った価値に対してなのだと肝に銘じていました。
今50歳をすぎて、僕の芝居を見に来てくださる方は、年配のお芝居好きな方だったり、作品に興味を持った方など、だいぶ落ち着いて来ました。そういう人たちに向けて真剣にお芝居を演じることは、僕にとってよく働き、よく生きることだと思います。舞台「みんな我が子」の劇場にもぜひいらしてください。

03

COCOON PRODUCTION 2022 DISCOVER WORLD THEATRE vol.12
『みんな我が子』-All My Sons-

20世紀の巨匠にして社会派劇作家アーサー・ミラーの代表作。幸せをつかむある選択が、人生と家族を崩壊させる。アメリカの片田舎に暮らす家族と隣人、そして友人家族に起こるたった1日の物語を実力派キャストが結集し上演。出演は堤真一、森田剛、西野七瀬、大東駿介、栗田桃子、金子岳憲、穴田有里、山崎一、伊藤蘭。

俳優

SHINICHI TSUTSUMI

1964年7月7日生まれ。1984年、ミュージカルで初舞台を踏み、TPT『Theatre Project Tokyo(シアタープロジェクト・東京)』でデヴィッド・ルヴォー、ロバート・アラン・アッカーマンら英国人演出家などの舞台に多数出演。以降、テレビ、映画、舞台と精力的に活躍している。

TEXT BY Akira Ishii PHOTOGRAPHS BY Takumi Sato DIRECTION BY Mariko Ooyama HAIR & MAKE BY Shinji Okuyama(barrel) STYLING BY Kan Nakagawara(CaNN)

※本稿は2022年2月掲載時点の情報となります。

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