2024年に創業60周年を迎えるホテルニューオータニ。

2024年に創業60周年を迎えるホテルニューオータニ。国内13ホテル、海外1ホテルに拠点を持ち、受け継がれた伝統と進化によって築きあげた類い稀なおもてなし精神で、世界中からのゲストを迎えている。多くの国際会議や歴史的な晩餐会、各界著名人の披露宴の舞台に選ばれてきたその歴史の発端を遡り、守り抜いてきた伝統と未来に思いを馳せてみたい。

400年以上前からの記録が残されている由緒ある日本庭園と共に

  東京・元赤坂の迎賓館から徒歩5分の立地にあるホテルニューオータニ東京。約2万坪ある広大な敷地には広大な日本庭園を有しており、そうしたロケーションも同ホテルを格別ならしめている要素の一つと言える。実はこの日本庭園は、400年以上前からの記録が残されている由緒ある日本庭園として知られ、失われる危機を乗り越えて現在まで繋がれたという背景がある。
 江戸時代初期、この地には安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した武将、加藤清正の下屋敷が存在。 そして二代目・忠広の時に加藤家が改易になったのを機に、この屋敷は井伊家へと引き継がれ、幕末まで中屋敷として使用されたのだという。
 この土地はその後、伏見宮邸宅となり、松樹や楠の木に包まれた美しい庭園として知られるようになった。第二次大戦後、伏見宮家がここを手放すにあたり、外国人の手に渡ろうとしたところ、この由緒ある場所が失われることを惜しみ、さらに当時の行政府の要請もあって譲り受けたのが、ホテルニューオータニの創業者である大谷米太郎だったのだ。
 米太郎は裸一貫で商売を始め、一大事業家へと上り詰めた苦労人であり努力家としても知られている。貧しい小作人の家に生を受け、身を立てるために30歳で上京。日雇い労働者や相撲取りを経て、酒屋を始めている。その利益を元にして鉄工所を開業して軌道に乗せ、関東大震災や太平洋戦争を経て、幾度も苦難の時期を経験しながら億万長者に上り詰めたのだった。
 米太郎はこの場所を買い取って自邸とし、荒れ果てた庭を自ら陣頭指揮して改修している。そして1964年、米太郎は政府の依頼に応じ、東京オリンピックのためにこの地にホテルニューオータニの中核、ザ・メインを建設。このザ・メインは地上70m・17階建てという日本初の高層建築物であり、1,000室規模の国際ホテルとして“東洋一”と謳われた。1974年にはより多くの宿泊客を受け入れるため、新館のタワー(現在のガーデン・タワー)も建設されている。さらに1991年には法人向けの賃貸オフィスビルの機能を持つニューオータニ・ガーデンコートもお目見えした。

訪れる全ての人々に特別な体験をもたらしてくれる日本が誇る名ホテル

 その敷地一体が一つの街のように機能してきたホテルニューオータニ。現在は1477室の客室、37のレストラン、33の宴会場を有する規模にまで拡大。中でもザ・メインの11・12階に“ホテル・イン・ホテル”として2007年に開業した「エグゼクティブハウス 禅」は、世界有数のトラベルガイド「フォーブス・トラベルガイド」の2023年度格付け評価ホテル部門において、4年連続で最高評価の5つ星を受賞している。
 87室の「禅」をコンセプトとした客室や富士山を望む宿泊者専用ラウンジでは、きめ細やかなおもてなしの数々によって、日本のみならず世界各国からの訪問者に心から安らげる滞在を約束してくれるだろう。
 このようなホテルの進化に伴い、日本庭園は少しずつ形を変えながらも、江戸時代から残る風情を変わらずに残してきた。宿泊客のみならず、庭園は訪れる人全てに無料で開放されており、森林の中で滝や大きな池を臨み過ごすことのできる、まさに都会のオアシスとも言える。
 受け継がれてきた伝統、そしてその価値を十二分に理解して後世に残さんとした人たち。その奇跡的な出会いによって、このホテルニューオータニは誕生し、人々のニーズに合わせて変化し、常に新しい挑戦を繰り返しながら進化を果たしてきた。訪れる全ての人々に特別な体験をもたらしてくれる日本が誇る名ホテルとして、威厳ある創業60周年の節目を今まさに迎えようとしている。

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