GIVENCHY(ジバンシィ)

創設者のユベール・ド・ジバンシィ。

 究極のエレガンスを追求してきたフランス発のファッションブランド「GIVENCHY(ジバンシィ)」。貴族の家に生まれ、198cmの長身かつ端正な顔立ちでまさにブランドのエレガンスを体現していたのが創設者のユベール・ド・ジバンシィだ。1927年にパリ郊外の毛織物工業で栄えた街・ボーベで生を受けたユベールは小さい頃から布に興味津々で、従姉妹たちが裁縫をして遊ぶのをいつも羨ましく眺めていたという。祖母の豊かなワードローブを眺めて時を過ごし、母親が持っていたファッション誌を参考に、人形のための洋服を8歳で製作したのがデザイナーとしての始まり。その後、17歳になったユベールはプロのデザイナーになるためにパリの国立高等美術学校に入学し、デザイナーのジャック・ファットやエルザ・スキャパレリらのもとで修業を積んでいる。そして1952年、24歳で自身のメゾンを設立。ファーストコレクションでは新たなスタイル「セパレート」を発表して名声を得たのである。「セパレート」はワンピース型のドレスが主流だった当時、上下のパーツの組み合わせで新たな着こなしを表現する斬新なアイデアであり、ファッション界に革新をもたらした。「ベッティーナ・ブラウス」と呼ばれるシャツブラウスもこの時期に発表されたものであり、多くのバイヤーに支持されて人気アイテムとなったことは広く知られている。ファーストコレクション以降、ユベールはクラシックかつシンプルなエレガンスを追究するブランドの立ち位置を確立していくのだった。

親交の深かったオードリー・ヘプバーンの出演作では多くの衣装製作を手掛けた。

 1953年、『麗しのサブリナ』の衣装デザイナーを探していた24歳のオードリー・ヘプバーンがユベールのアトリエを訪問し、才能ある若者二人はすぐに意気投合。ユベールは『麗しのサブリナ』『パリの恋人』など、オードリーの出演する多くの作品で衣装を手掛けることとなった。特に『ティファニーで朝食を』のリトルブラックドレスは過剰な装飾を排し、シンプルさと完璧なカッティングでオードリーの美しさを際立たせ、後に映画史に残るアイコンとなっている。

1957年に発表されたジバンシイ初のフレグランス「L’Interdit(ランテルディ)」。

 1957年にはオードリーに捧げられたジバンシイ初のフレグランス「L’Interdit(ランテルディ)」が誕生。フランス語で「禁止」の意味を持つその香水の名は、「お気に入りの香水だから私以外は使っちゃダメ」とオードリーが述べたことに由来するという。その2年後にはブランド初の男性向けフレグランスも発売されている。
 1987年にLVMHの傘下に入って以降は、伝統的なオートクチュールやプレタポルテの枠を超え、フレグランスやコスメ、ジュエリーや時計などあらゆる分野に広がり、より多くの人に愛されるブランドへと進化し続けてきた。
 そして1995年、ユベールの引退を機に、ジョン・ガリアーノやアレキサンダー・マックイーンなど名だたるデザイナーがブランドを率いていく。特にリカルド・ティッシは2005年にジバンシィのクリエイティブディレクターに就任して以降、従来のエレガンスを保ちながらも現代的なストリート感覚や大胆なデザインを取り入れることで、ジバンシィを若い世代にも魅力的なブランドへと再生させていった。近年ではアレキサンダー・マックイーンのクリエイティブ・ディレクターを務めたサラ・バートンがジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに就任し、2025年春にはサラによるファーストコレクションがお目見えする予定だ。
 オードリー・ヘプバーンの人気も相まって、1960年代から70年代にかけて洗練されたブランドの美を日本で知らしめ、今日に至るまで直営店やイベント、各種コラボレーション等を通じて多くのファンに愛されてきたジバンシィ。多くのデザイナーによって時代を越えていく力強い羽を得て、ジバンシィの普遍的なエレガンスはこれからも世界中で愛され、受け継がれていくに違いない。

PARIS, FRANCE - MARCH 6,2011 @ Givenchy fashion show

Business Issue Curation