俳優

好きに尽きる、だから挑戦は止めない。

歌舞伎役者として、俳優として、多方面で活躍する中村獅童氏。近年では絵本を原作とした新作歌舞伎「あらしのよるに」が大きな話題を呼んだ。今年開催される大阪・関西万博ではバーチャルアイドル・初音ミクとコラボした「超歌舞伎」の上演を予定するなど、固定概念に捉われない新たな試みを仕掛け続けている。伝統と革新、双方を体現するその真意に迫った。

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“中村獅童”という役者像や表現者としての在り方というものは、
一生をかけて追い求めていかなければいけない部分

――歌舞伎だけでなく、映画やドラマなどジャンルレスに活躍されている印象が強いのですが、それぞれの取り組み方に意識の違いはありますか?

 ジャンルは違えど、どれも表現する仕事ですので心を込めて表現するという意味合いにおいては、どれも同じスタンスです。強いて言えば、演技の技法が違うということでしょうか。例えば、歌舞伎であれば2,000人以上のお客さまを前にしての公演になるわけですが、マイクを使わずに伝わる発声法が必要になります。その一方で、映像にはリアルなお芝居が求められる。その上での表現の違いはあるのかと思います。
 とはいえ自分にとって、魂の故郷はやはり歌舞伎なんです。舞台は一度きり。だからこそ撮り直しのできる映像の世界でも常に一発勝負のつもりでやってきました。

――魂の故郷は歌舞伎であるとすると、映像のお仕事はどういった位置づけになるのでしょうか。

 海外武者修行をしている感覚に近いでしょうか。海外でいろいろな景色を観て、さまざまな人に出会い、刺激を受けると自分の視野が広がるじゃないですか。そういうイメージに似ているかもしれません。特に役者というのは、自分がこれまで生きてきたすべてが内側から出ていく仕事ですから。歌舞伎であれ、映像であれ、すべてが自分の血肉になっていると感じます。例えば『あらしのよるに』(2015年9月京都南座に初演、2024年9月に同劇場にて再演)といった新作歌舞伎を作ったことも、さまざまな活動を経験してきたからこその発想だったと思うんです。

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役の重みに負けないだけの精神力や技術がないと
押しつぶされてしまうのが歌舞伎なのだと思います。

――そうしたキャリアを重ねることで変化した部分は何かありますか?

 変わったところは特にないのかもしれません。正直、いつまで経っても下手くそな役者だなと思うんですよ。自分の理想に到達するのは難しいですし、そこに到達したら辞めちゃうかもしれないですね。もっとこういう演技がしたい、そのためには人間的にもっと深めていかなきゃいけない、その繰り返しのような気がしています。歌舞伎もそうですし、”中村獅童“という役者像や表現者としての在り方というものは、一生をかけて追い求めていかなければいけない部分なのかもしれないですね。
 その積み重ねがあるからこそ、自分が若い頃からいつか出てみたいという想いを抱き続けてきた(北野)武さんの映画(23年公開『首』)にも出演できました。そして北野組からオファーを頂いたすぐ後には、是枝(裕和)監督からもお話(23年公開『怪物』)を頂き、また一つ自分の夢が叶っています。まさにこれまで積み重ねてきたことの一つの証だったなと感じますね。常に今だけを見てやってきましたし、その積み重ねがあってこその夢の実現だなと感じるんです。

――歌舞伎界では、人気マンガ「ワンピース」や「鬼滅の刃」を題材にした「スーパー歌舞伎Ⅱ」など、革新的な作品も生まれています。獅童さんもニコニコ超会議で上演を重ね、今年の大阪・関西万博でも再び公演が予定されていますが、そういった新たな試みのきっかけは何かあったのでしょうか。

 亡くなった(中村)勘三郎さんが手掛けていた「コクーン歌舞伎」が一つのきっかけだったように思います。「コクーン歌舞伎」は、渋谷のBunkamuraで歌舞伎を上演するという試みでしたが、出演した際に勘三郎さんが「渋谷の街を歩いているような若者を振り向かせられるのはお前しかいないよ」と言ってくださったんです。それをずっと覚えていて、自分がある程度の年齢になったときに新たなものにチャレンジして、歌舞伎を観たことのない人を振り向かせたいと思うようになりました。この意識は今も変わっていません。
 歌舞伎は先人が積み重ね、作り上げてきたものですよね。名優と言われた方々が大切に演じてきたお役をやらせていただくものでもあります。そのためにも稽古を重ね、先人に負けないようにぶつかっていくことが求められるんです。そうした役の重みに負けないだけの精神力や技術がないと押しつぶされてしまうのが歌舞伎なのだと思います。そして伝統を守りつつも、新しいものを作っていくことも大切な挑戦だと考えてきました。若い世代の方にも観ていただけるような歌舞伎を作っていくというのが、自分の使命でもあると思っています。

――偉大な先輩の言葉がご自身の心に火をつけたといったところでしょうか。

 そうですね。勘三郎さんの一言はもちろんですが、歌舞伎界で生きていくのであればやはり”中村獅童“らしさ、というものを確立していかなければいけないなと感じます。僕の父は子役のうちに廃業しているので、若いときは世襲制の歌舞伎界で主役を取っていくというのは難しいとよく言われてきました。その中で、ほかの人と違う個性を出していくにはどうしたらいいのか。その壁を乗り越えるというのが、自分にとっては避けることのできない挑戦だったように思います。見えないゴールに向かって、自分で自分の道を切り拓いていく。”中村獅童“という名前を一代で全国の皆さんに知っていただける名前にするというのも、自分にとっては一つの大きな目標だったからです。
 今手掛けている「超歌舞伎」は、ニコニコ超会議というサブカル好きのイベントから発生し、歌舞伎に進出していきましたが、劇場でペンライトを振るという今までになかった試みもありました。なので最初は賛否も沢山あるだろうなと思っていたんです。それを分かった上で時代を変えていきたいという自分の覚悟がありました。その一方で、心のどこかにこれを歌舞伎座でやっていいのだろうかという不安があったことも事実です。
 しかし歌舞伎を初めて観た若者たちの笑顔や関心を目の当たりにした時には、挑戦して良かった、やって良かったなと改めて感じましたね。『あらしのよるに』もそうでしたが、自分が発起人となって作ってきたものですから、最終的に全責任は自分にあると考えています。だからこそ自分の新たな試みがお客さまに受け入れてもらえるのかどうか、そこには毎回葛藤がありますね。もちろん批判を受け入れる覚悟はありますが、なるべく多くの人に認めてもらいたいなと願っています。

――そうした葛藤の中でも挑戦を続ける、その原動力はどこにあるのでしょうか。

 どうしても歌舞伎が好きなんですよ。そして役者という仕事が好きなんだと思います。正直に答えたいなと、今お話ししながらずっと考えていたんですけど、やはりそれに尽きますね。

俳優

Shido Nakamura

1972年9月14日生まれ。東京都出身。8歳で歌舞伎座にて初舞台を踏み、二代目中村獅童襲名。2002年公開の映画『ピンポン』で日本アカデミー賞ほか新人賞五冠を獲得し、以降、映画やドラマ等でも幅広く活躍。歌舞伎役者としては、2015年に新作歌舞伎「あらしのよるに」、そして2016年にはニコニコ超会議でバーチャルアイドル初音ミクと共演する「超歌舞伎」上演を始めるなど新たな試みでも注目を集める。

※本稿は2025年6月掲載時点の情報となります。

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