VERSACE(ヴェルサーチェ)
華やかで独創的なデザインで多くのセレブに愛されてきたミラノ発祥のブランド、「VERSACE (ヴェルサーチェ)」。その創設者であるジャンニ・ヴェルサーチェは、幾度もの大きな地震に見舞われながらも再生してきた不屈の都市、レッジョ・カラブリアで生を受けた。第二次世界大戦直後の復興期、この街で貧しくともたくましく生きる女性たちからジャンニは幼心にインスピレーションを受け、女性をエンパワーメントする華やかでポジティブなファッションを後に作り上げることになる。
洋裁師の母のもとで縫製を学び、26歳になったジャンニは、ニットウエア会社「フローレンティーン・フラワーズ」の仕事を得て、ニットウエアのスペシャリストとして名を馳せるようになる。モードの一大中心地となっていたミラノに転居し、コンプリーチェやマリオ・ヴァレンティノといったブランドを経験した後、会計士の兄・サントの助力を得て、1978年に自身の会社を設立。妹・ドナテラと共に、レディース、メンズともにファーストコレクションを発表し、評価を得てミラノに1号店をオープンしたのだった。
ジャンニは同じイタリアのファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニとジャンフランコ・フェレとファーストネームの頭文字が同じ「G」であることから、「ミラノの3G」と並び称されるようになる。そして周知の通り、ヴェルサーチェはイタリアを代表するファッションブランドとして地位を確立していった。
1989年、主にオートクチュールを手掛けるヴェルサーチェの最高級ライン、「アトリエ・ヴェルサーチェ」を立ち上げ、初のオートクチュール・コレクションを発表。同時に価格を抑えたヴェルサーチェのセカンドライン、「ヴェルサス」も発表。その頃にはヴェルサーチェは世界中で320もの小売店を持つブランドに成長を遂げていた。
ブランドとセレブの繋がりが深まった1990年代には、ヴェルサーチェも多くのセレブやアーティストと交流を深め、ブランドの魅力を彼らを通して発信していく。伝説となったのは、イギリス人の俳優、エリザベス・ハーレイが着用したドレスだろう。1994年、彼女が映画『フォー・ウエディング』のプレミアで着用した、大きく開いたサイドを金色の安全ピンで留めたセクシーな黒のドレス「セーフティピン・ドレス」は一躍話題を集め、当時はほとんど無名だったハーレイの名前を一夜にして高めたと言われている。他にもマドンナ、レディー・ガガ、ジェニファー・ロペス、ビヨンセなど、比類なき個性を持つセレブリティたちがヴェルサーチェの服を愛用し、イベントやステージなど重要な場で身にまとってきた。
ヴェルサーチェの日本における展開は1980年代後半から始まり、ブランド特有の豪華で大胆なデザインはバブル経済の中で人々から支持を集めた。しかし2009年に世界不況の影響を受け、日本から撤退。2011年に再上陸し、2015年に銀座と青山に旗艦店をオープンさせている。2021年にはブランド初となる日本アンバサダーに俳優・清野菜名が就任。日本に特化した独自のコンテンツやイベントを発信し、日本との結びつきを強めているところだ。
ジャンニはオペラやバレエ、芝居の衣装も制作し、ヴェルサーチェの絢爛な世界観はジャンルを越え広がっていく。しかし1997年、フロリダ州マイアミビーチの自宅の外で凶弾に倒れ、50歳でこの世を去ることになる。ジャンニの死後、妹のドナテラがクリエイティブ・ディレクターとしてプレタポルテコレクションを毎シーズン開催し、兄に代わりブランドの栄光を牽引するようになっていった。
2011年にはH&Mとのコラボレーションコレクション「VERSACE for H&M」を発表。2018年にはジミー チュウを傘下に持つマイケル・コース ホールディングス(現・カプリホールディングス)がヴェルサーチェを21億ドルで買収し、その傘下に入っている。家族経営を経て、多様な才能とチームを作って進む道をドナテラは選んだのだろう。ジャンニの遺産を守りながら、ヴェルサーチェを新しい時代に適応させている彼女の存在は、今もなおブランドを成功させる原動力となっている。